#29 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.2
-なるほど。そこは黄監督と李総監督の役割分担のようなものがあるのですね。
李 それは自分が監督として全責任があると感じているから。そういうメリハリというか、指導者として当たり前の事なんですけど、彼はよく分かっていますよ。チームの中でも総監督やマネージャーやキャプテンなど、色々な立場がありますけど、それぞれの事を考えながらやっています。だから素晴らしいなと思います。いずれJリーグの監督になるんじゃないかというくらい、良いものを持っていると思います。誠実で、研究熱心ですし。選手兼監督でやっていますから、選手達も私より彼の事を見ていますよ。
-李さんから黄監督へ、良い世代交代が出来たと感じますか?
李 私はラッキーだったと思います。私もサッカー人生が少し長くなりましたし、色々ありましたが幸せですね。東京都リーグの時は選手がいなくて、私が試合に出た事もありました。45、6歳くらいの時で真夏に90分間ね(笑) 色々な試合があって、そこで負けていたらチームが無くなっている可能性もありましたし。後で振り返ると、「この試合があったから今があるんだ」というのが幾つかあるんです。
-この12年間でたくさんの苦労や思い出があったと思いますが、一番印象に残っているシーズンや試合は何ですか。
李 上に行けるんじゃないかと思えるキッカケを作ったのが、2004年ですかね。リーグ戦では7位だったんですけど、東京都リーグカップで優勝した。ここで勝った事が「もっと上に行けるんじゃないか」と手応えを掴むキッカケになりました。もう一つは2003年かな、11位でシーズンを終えたんですけど。ウチのGKと相手が一対一になる場面が何度もあってね、ファインセーブで何度も止めまくったんです。その後ウチがコーナーキックのこぼれ球をポンと流し込んで、1-0で勝って都リーグ1部に残留したんです。それが無かったらズルズル落ちていたと思います。だからこの2つが印象に残っていますね。
-関東リーグや都リーグは、降格してしまうとチーム力の低下に歯止めが効かなくなる場合が多いですよね。
李 それは自分達も一緒だったと思うんですよね。(降格して)求心力を失って、チームの中心にいた人間がいなくなっていたら危なかった。自分達は今、関東リーグにいますけど、JFLに上がれなくてズルズル落ちていく可能性もありますからね。チームマネージャーとも話しているんですけど、仮に(下部に)落ちてもクラブが無くなるわけじゃないし、このクラブはどこのカテゴリーでも続ける事が大事だと。それでも、ここ(JFLの一歩手前)まで来たから、あとは運と実力です。いつかはJFLに行けると思うんですよ、それが今年なのか来年以降なのかは分からないですけど。そこは夢を追いかけている部分なので頑張らないとね。去年は(地域決勝1次ラウンド敗退で)JFLに上がれなかったですし、今年の地域決勝で上がれたら素晴らしいなと思っています(笑)
(Vol.3に続く)
<プロフィール概略>
李清敬・・・1958年11月11日生まれ。在日コリアン2世。朝鮮大学在学中に北朝鮮代表に選出。1980年、アジアカップでも代表選手として名を連ねた。大学卒業後、在日朝鮮蹴球団で約10年プレーし、現役引退後は指導者の道へ。1994年から東京朝鮮高校の監督を4年間、1998年に蹴球団に戻り、「幻の日本一」と呼ばれたチームの監督を2年間務めた。その後、2002年のFC KOREAの創設・強化に尽力し、2012年からは総監督となりクラブの理事長も務める。2002年、在日コリアン初となるJFA公認S級コーチングラインセンス取得。