#29 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.2
-在日コリアンのJリーガーが沢山いますが、そういった選手達も含めた活動が出来そうですね。
李 もちろんそうです。今Jリーグでプレーしている在日コリアンの選手達も、ウチのチームに寄せ書きを送ってくれたりしますし、私達が上(JFL)に行く事でそういう活動も出来ると思います。有り難いのは、彼らの中に「最後はFC KOREAでやりたい」と言ってくれる選手がいる事ですね。
-在日本朝鮮人蹴球協会の役割はどのようなものなのですか?
李 協会は「選手の育成」と「指導者の養成」と「代表の強化」という三本柱があります。代表というのはトップ選手を集めたチームの事ですが、今は本国(韓国・朝鮮)の代表だったり、朝鮮大学校だったり、在日コリアンのサッカーマンを束ねている組織ですね。
-2001年頃、東京にいた在日サッカーマン達と、東京朝鮮蹴球団の選手が「一つになろう」という流れがあったのでしょうか。
李 その頃はチームを2つに分けていたんですよ。トップチーム(蹴球団、20代中心)と30代チーム(東京朝鮮蹴球団)といった形で。
「戦後の原点に戻ろう」とFC KOREAは新しく誕生したチーム
-その頃(2001年)、準加盟チームがJFL昇格まで可能になった事も関係していますか。
李 以前はよく、大学サッカー部が東京都リーグに出てきたりというのが流行っていましたけど、朝鮮大学校の1~2年生も強化の為にこのポジションを使ったんですね。その時は蹴球団の名前で都リーグに出ていたんですけど、それがダメだと言われたみたいで。その大学生のチームをどうするかとなって、「じゃあ東京朝鮮蹴球団と力を合わせてやろう」という事になりました。「戦後の原点に戻ろう」というのが始まりなんです。
-なるほど。大学生チーム(蹴球団)の都リーグ参加が認められないと。
李 その時に「どうすれば良いですか」と蹴球団の先輩達にもお伺いを立ててね。純粋にスポーツなんだから、そういうのを取っ払って「在日コリアンの人達が集まれる場を設けよう」と。そして「原点に戻って在日コリアンのサッカーを盛り上げてくれ」という事だったんです。それで今があるという感じですね。
-ただ当時の蹴球団を知る方達から、FC KOREAはまだ認められていないとお聞きしましたが?
李 認められていないですね、まず弱いですから。蹴球団というのは本当のエリートが集まって、初めから上手い選手で構成されていました。また練習の厳しさが半端ではなく、だからチームは強かった。FC KOREAを作った時(2002年)は、まだ弱い時じゃないですか。そこから始まっていますから、FC KOREAは叩き上げの雑草軍団なんです。学生時代に勝てなかった子達が集まっているんですよ。Jリーグも行けない、日本の強い大学サッカー部も行けない。そういう中で頑張っているわけで、そこが蹴球団とは全く違う部分ですよね。
-JFL昇格が可能になり、2002年にFC KOREAはスタートしますが、既にJFL昇格は考えていましたか?
李 考えていましたね。だけど余りにもレベルが違いましたね。最初は東京都リーグ1部で残留するかしないかの実力ですから。都リーグ1部で11位だった年もありましたから。