TOP>>インタビュー>>korea-interview>> #28 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.1

#28 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.1

-国籍がどうこうではなく、何十年もかけて積み上げてきたからこそですよね?

 戦後からずっとサッカー関係の人達が作り上げてきたものが形になった。(東京朝鮮高が)インターハイや選手権の予選に出て、あと(朝鮮大学が)大学リーグにも出られて、次は2002年にFC KOREAが出来て、と。そういう流れが生まれたんですね。

-2001年にはJFAの規約改正で、準加盟チーム(※3)がJFLまで昇格出来るようになりました。

 それもそういう流れからですよね、間違いなく。やはり一緒に戦った仲間達が、「おかしいじゃないか」と。「素晴らしいチームだし、もっと上のレベルでやらせても良いんじゃないか」と言ってくれたんです。

-東京朝鮮高校の監督を4年間やられた後は、どうされたのですか?

 蹴球団に戻りまして、1998年~1999年の2年間、監督をやりました。

-1960~70年代の日本サッカーの実力は、在日コリアンや朝鮮・韓国のサッカーと比べるとまだ低かったと思いますが、李さんから見ていかがでしたか?

 そうでは無いと思いますよ。日本の御三家「埼玉、静岡、広島」に関しては、レベルはやはり高かったですよ。それ以外のチームとは「追いつけ、追い越せ」ですけど、在日コリアンの方達もその地域では苦戦もしたし、負けた事もあります。総合的には分からないですけど、レベルの高い地域はあって、良い試合をしていたんじゃないかなと思います。

-1966年ワールドカップ・イングランド大会で、朝鮮はイタリアを破りベスト8まで進出していますね。

 1964年の東京オリンピックの時は、国の名称・表記の問題で帰国してしまった事があったんですけど、その選手達のほとんどが1966年のイングランドワールドカップに出ていますね。

-1960年代は朝鮮代表のサッカーも当然強かったと思いますし、「日本代表よりも自分達の方が世界と戦うための実力があったんだ」という自信がありましたよね。

 確か、イングランド・ワールドカップのアジア予選は、他のアジアのチームがボイコットしたんですよ。何故かというと、出場枠の問題で「アジアは一カ国しか出られない」と。しかもオセアニアかどこかとプレーオフを戦って、勝った方が出られると。要は0.5枠しかないわけです。「それはおかしいじゃないか」と。それでアジア各国がボイコットして、確かプレーオフ予選を戦ったのが朝鮮とオーストラリアだったと思います。

-予選に参加するチーム自体が少なかったわけですね。

 少なかったですね。その時も実力的には朝鮮代表は強かったんですけど、そんなに何試合もやってアジア予選を突破したわけではなくて、単純にホーム&アウェーでやっただけですね。たまたま東京オリンピックからイングランドワールドカップの頃は選手層が厚くて、よく東ヨーロッパに行って強化を図っていたようですね。

※3 JFA準加盟チームとは外国籍選手を6名以上登録しているチームの事。2001年1月18日に行われた日本サッカー協会「平成12年度第10回理事会」にて、準加盟チームの全国大会参加が承認された。この決定により準加盟チームはJFLまで昇格する事が可能となった。

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