TOP>>インタビュー>>korea-interview>> #28 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.1

#28 FC KOREA 李清敬 総監督 インタビュー Vol.1

-李さんのお生まれの年を教えて頂けますか。

 1958年11月11日の“サッカーの日”に日本で生まれました。国籍は朝鮮の在日コリアン2世です。

-という事は、お生まれになる前後が、蹴球団の創立の時期だったのですね。

 ええ、このチームとは因縁があるんですよ。私の父も、チームを結成する時に総連系の仕事をやっていたんですね。その時の(蹴球団の)団長やキャプテンは、私の父を知っていました。これは冗談で言われている事なんですが、私を蹴球団に引っ張る時、父が「サッカーはダメだ、蹴球団には入れない」と言ったらしいんです。そうしたら「先輩、何言ってんですか」と。「1960年の初めの頃に、あなたが『蹴球団を作る』と言って私達を引っ張ったんじゃないですか」と(笑) 私自身もサッカーでここまで来るとは思わなかったですね。蹴球団に入るとも思わなかったし、父が蹴球団創設のキッカケに関わっている事も分からなかった。だから運命的なものは感じますよね。

「在日朝鮮蹴球団の活躍が、在日コリアンに自信や勇気を与えてきた」

-創立後は、日本国内の色々な場所で試合をしたのですか?

 日本サッカーリーグ(1965年~1992年)が始まる前は、大学リーグが強かったじゃないですか。その時に親善マッチを重ねて、全国の地域を点々としていました。そこには普段は東京に来られない人もいましたし、田舎だと日本の方しかいないから、通名だったり朝鮮人という事を隠して生きている人が多かったですね。

-それは仕事や様々な面で、差別や偏見などがあったからですか?

 そうだと思います。通名にしないといけない状況があったと思うんですよ。それで、自分達の試合の活躍を見て「実は在日コリアンなんだ」と。「朝鮮人、韓国人なんだ」とカミングアウトする。そういう事がありました。

-蹴球団の存在意義はそういう人達のためにも重要だったと。

 コリアンとしてのプライドというんですかね。スポーツは勝敗が決まるので、「勝ったら気持ち良い」という部分がありますよね。それで自信を得たり希望が湧くような、そういうキッカケになった部分では、非常に大きな役割を果たしたと思うんです。

-在日コリアンの方が『同胞』という言葉をよく使いますが、この言葉の意味合いはどのようなものですか?

 同じ釜の飯を食うだとか、そういう意味が大きいです。朝鮮語で『僑胞(キョウポ)』という言葉があるんですけど、一般的に韓国では海外にいる同胞の事を『僑胞』と言うんです。僑胞というのは(中国人の)華僑と同じように、完全に海外で暮らして、その土地の人間になっている人達を言うと思います。だけど私達は、日本にいるけど常に自分の国を想っている。一心同体という意味で『同胞』という言葉を使っている、と私は思っています。歴史的な背景で、本国に居たくてもいられず日本に来た人達もいるわけですから。

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