#19 FC町田ゼルビア 楠瀬直木 強化・育成統括本部長 インタビュー Vol.1
-ヴェルディもゼルビアも、クラブ体制が大きく変わる際に、楠瀬さんは重要な仕事を任されている印象です。
楠瀬 そういうの多いんですよ。栃木に行ってヴェルディの支部を作りましたけど、元々栃木に行ったのも、栃木にJリーグクラブを作る為だったんです。その前も本田技研でプレーしていて、引退して他のチームに移ろうとしたんですけど、阪神大震災があって。ヴィッセル神戸もそうですし、色々な協会の人達の「復興しよう!」という志があって、僕もそれに携わってきました。
「出来上がり過ぎたクラブで、“結果だけ”を求めていく事に魅力を感じない」
-そういった想いを大事にしているわけですね。
楠瀬 まあ、そういう性分なんですかね。そういうのがあると気になって、『サッカーで出来る事があれば手を出しちゃう』というか。大変と言えば大変ですけど、出来上がり過ぎたクラブで結果だけ求めていくというものには、あまり魅力を感じないですね。東京Vユース監督としてクラブユース選手権や高円宮U-18プレミアリーグを戦った時にも感じたんです。
お金持ちクラブは『結果だけ出しておけば良いんだ』というチームが多かったので、そういう点では寂しいなと。「それじゃアジア突破出来ねえぞ」と思って結構辛口で言っていたんですけど。だからこそ「いつも勝たなきゃな」とは思ってました。
-ところで、今季は齋藤翔太選手が加入しましたが、楠瀬さんが2010年に東京Vユース監督に就任された時に、彼は入れ替わりで東京Vジュニアユースから山梨学院高校に進学しました。ジュニアユースからユースに誰を上げるか?というスタッフ内での話し合いには、楠瀬さんも参加していたのでしょうか?
楠瀬 あの当時は、僕は加わっていませんね。通常、夏くらいには(子ども達の進路について)ジャッジしないといけないのですが、私が東京ヴェルディに来たのは正月くらいですから、彼の進路はもう決まっていました。
-齋藤選手がゼルビアに入る時の交渉は楠瀬さんがやられたのでしょうか?
楠瀬 去年の夏くらい、オジー(アルディレス前監督)・唐井(前GM)体制の時に、ある程度は内定を出していたようなので、僕が今の立場になる前に入団は決まっていました。
-では、2012年のアカデミーダイレクターから今の立場に変わる際は、どのような経緯があったのでしょう?
楠瀬 オジーも唐井さんもいなくなってね、僕の年齢がクラブ内で守屋代表(現・相談役)、下川社長の次なんですよ。年齢的にと言いますか、「オジーが(J2リーグ最終戦に)いなくなる」となって、やる人がいませんでしたし、練習試合2試合だけ代行監督をやりました。その後、唐井さんがジェフ千葉にいかれたので、そのまま今の立場になりました。
-アカデミーの部分も引き続き見ているわけですよね。
楠瀬 立場的にはそうなりましたが、やっている事は変わらないです。ユース監督の時みたいに大学をスカウティングしたり、高校生や中学生をスカウティングするのと同じですよ。ただ少し幅が増えたというか。午前中にトップの練習があって、その後ユースやジュニアユースが夜にあるわけですよ。だいたい朝9時から夜9時まで練習場にいる感じですね。
-アルディレス氏が退任して監督代行になった際、既に今の立場になるという流れがあったという事ですね。
楠瀬 そうですね。その時はまだ、こうだとは決められなかったですけど。同時にクラブは新しい監督を獲るために動いていたので、その間は練習を見て、それで秋田監督に決まって引き継ぎました。僕はトップチームの事もわかるし、立場的にそうなりましたね。最初は「GMをやってくれ」と言われたのですが、GMは営業や運営など経営を含めた統括役。「そんな要職はちょっと…」という話をしました。名前どうこうより、とにかくゼルビアのために、というが先にありましたね。