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#15 横河武蔵野FC 依田博樹 強化担当 インタビュー Vol.1

-中央大学を経て、依田さんが横河電機サッカー部(1998年)に加入した経緯を教えて下さい。

依田 当時、チームはまだ関東リーグ(4部)に所属していましたが、ハッキリ言って上(JFLやJリーグ)を目指す気持ちは、今よりも強かったと思いますね。私自身は関東リーグレベルで、仕事とサッカーの両方が出来ればと考えていました。小中学校の先輩が横河電機サッカー部にいたので、『横河でサッカー出来ませんか?』と連絡をしたら、トントン拍子で話が進みまして。

-関東リーグ時代はJFL昇格を目指し、全国社会人サッカー選手権大会(全社)や全国地域リーグ決勝大会(地域決勝)に出場し、社員選手として何日も連戦する経験をされたんですね。

依田 当時の横河は、他チームよりも一歩抜けていた所がありましたよね。全社は確かトーナメント戦の途中で負けましたけど、地域決勝は負けなかったと思います。今では当時のチームの事を語れる人間は限られていますからね。「関東リーグ時代があって今がある」という事は、今の選手達にも伝えていかなければならない。そういう義務があると私は感じています。

-関東リーグ時代から今の横河武蔵野FCにずっといる方は依田さんだけですか?

依田 林(修一郎)コーチもそうです。我々が入社して、関東リーグを制覇して、翌年からJFLに上がりました。

-その後、2004年に現役引退し、コーチに就任されますが、どのような経緯があったのでしょうか?

依田 今でこそクラブにスタッフが何人もいますが、当時は監督の古矢(武士)さんだけで、コーチングスタッフも揃わない状況でした。現在FC東京のゴールキーパーコーチをやっている山岸(範之)と、お互い選手として『来年どうしようか?』と話している時に、古矢さんから声を掛けられたんですよね。私は持病もあって、もう現役は続けられないかなという状況だったので、『チームのために何かできる事があれば』と思って引き受けました。

「自分が指導者に向いているかどうかより、“使命感”のほうが強かった」

-持病というのは?

依田 左足の腸脛(ちょうけい)靭帯という、膝の外側の所ですね。自分自身のケア不足だったと思うんですけど、少し走り出すと痛むという感じでした。やろうと思えばまだプレー出来たと思うんですけど、28歳で現役引退を決めました。

-依田さんが現役時代のチーム(横河電機サッカー部)はどんなチームでしたか?

依田 今よりもっと泥臭かったかな(笑) 今でこそ上手い選手が何人かいますけど、昔はボールを追いかけて、クリアして。そんな状況でしか戦えなかったですね。

-そして2007年に監督に就任されました。改めて6年間の監督生活を振り返っていただけますか?

依田 やはり6年は長いんですけど、1年が始まると速いサイクルで回り始めます。『あっという間に開幕か』と思っていたら『もう最終戦か』と。長いような短いような、非常に中身の濃い6年間でした。

-監督という仕事には元々興味があったのでしょうか?

依田 だから(監督を)引き受けたんでしょうね(笑) コーチ就任も監督就任も、古矢さんから声を掛けられました。古矢さんはゼネラルマネージャー(GM)としてクラブ全体を見る役割があったと思います。山岸は『プロでやる』という事でウチを出たので、『自分がやるしかない』と。自分が監督に向いているかどうかではなく、使命感の方が強かったかなと思います。

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