#30 FC KOREA 黄永宗 監督 ロングインタビュー
【幻の日本一と呼ばれた在日朝鮮蹴球団。年齢も異なる3選手の、大先輩達への受け止め方は違う。共通しているのは蹴球団をリスペクトしつつも、その偉大な実績を重荷には感じていないという事だ】
-在日朝鮮蹴球団は、監督にとってどのような存在ですか?
黄 僕が高校生の時はまだあって、李清敬さんが監督(現・総監督)でした。浪人している時に一緒に練習させてもらったりしていました。当時はもう蹴球団の活動も終わりの頃でしたけど、歴史のあるチームですし、そういう伝統というか魂をしっかり受け継ぎたいですね。蹴球団もFC KOREAも、チームとしての目的は共通している部分があります。昔強かった時の蹴球団にはまだまだ及ばないですけど、それくらい在日同胞達に力を与えられるようなチームになっていかないといけない。まだ全然足下にも及ばないですけどね(笑)
-在日朝鮮蹴球団の実績がプレッシャーになった事はありましたか?
黄 そこまで感じていないですね。目指すべき所は一緒なので、蹴球団がやってきた事をFC KOREAでもやっていきたいなという思いが強いですね。
李 僕は正直、「もう少し(蹴球団の重みを)感じなきゃいけないんじゃないかな」と思っています。上の人はそう思っているかもしれないですけど。ただ、蹴球団の事はそんなにわからないですし、サッカーをやる上でプレッシャーに感じる事はないですね。
朴 実際、蹴球団の事はあまり知らないんです。先輩達の思いはあまり感じていない選手が多い。ただ、このチームが出来たのも、蹴球団の活動が無くなった後に作ろうとなったし、そういう事を踏まえると、今までやってきてくれた先輩達が残してくれたものに感謝してやらないといけないと思っています。でもプレッシャーに感じる事は無いですね。チームの理念はしっかり受け継いでいます。在日コリアンのサッカー界の為にやろうとしていたり、そういう伝統は受け継いでいるんですけど、あの時代みたいになろうではなくて、逆に「僕らが新しい時代を作ろう」と。先輩方は公式戦に出られなかったという事もあるんですけど、自分達が勝って、全社優勝も初めての事ですし名前も残るので。「自分達が歴史に名を刻むんだ」という気持ちの方が強いですね。
-子どもの頃、強かった蹴球団を見た事はありますか?
黄 僕はないですね。でも高校の時は月1回くらいのペースで練習試合をしていたんですよ。金鐘成さんとか、国家代表ですからね。蹴球団の後にヴェルディ川崎(当時)でもプレーした梁圭史さんもいましたね。高校生の僕から見てもかなり強かった。一緒にやったというのが蹴球団との記憶ですね。
朴 団体としてプロではないですけど、今まで行った事のないカテゴリーに上がれるというのはやり甲斐がありますし、上げたいという気持ちが強いです。社会人になって、自分が在日コリアンというのを感じられる時ってあまりないと思うんです。普通に仕事をしていてもそうですけど。このチームでサッカーをするからこそ感じられますし、自分が在日コリアンだというのを表現出来る場所だと思います。そういう場所がもっと色々な人に注目される、そう考えると絶対上がりたい。色々な人に自分達の存在を知ってもらいたいですし、在日コリアンの子ども達の目標にもなりたいです。
-朴選手が、日常生活で在日コリアンだと感じられる機会はあまり多くないと話していました。
黄 この前、知り合いと話していたんですけど、試合中に朝鮮語が飛び交うだけで、「あっ、在日コリアンのチームなんだ」と。「それだけで凄く応援したくなる」と言われて嬉しくなりましたね。日本のチームと試合をして、見に来てくれる人が試合中に朝鮮語を聞くだけで自分達のチームだと思えるとか、それだけで応援したくなるとか、そういう事を言ってもらえると嬉しいですよね。
-では最後に、地域決勝に向けて改めて意気込みをお願いします。
黄 去年は本当に悔しい思いをしているので、何が何でもJFLに上がるという気持ちはもちろんあります。組み合わせも決まりましたけど、ここから劇的に何かが変わる事はないと思っています。自然体で準備していきながら、良い状態で地域決勝に臨んで、良いパフォーマンスを出したい。そうすれば結果を出せると思っているので、そこだけに集中してやっていきたいです。何が何でもJFLに上がります。
(了)
<プロフィール概略>
黄永宗・・・1980年2月10日、東京都生まれ。東京朝鮮高校、立正大学を経て大塚製薬(当時JFL)に加入。その後FC KOREAに加入し、アルテ高崎(当時JFL)でもプレー。2007年にFC KOREAへ復帰し、守備の要としてチームを統率する。2010年からコーチも兼任し、2012年に監督に就任した。