#30 FC KOREA 黄永宗 監督 ロングインタビュー
【昨年の地域決勝直前、東京偉蹴FOOTBALL編集部はMF朴世訓、MF李智星(現・ガンジュ岩手)の2選手にインタビューを行っている。FC KOREAでプレーする事、そしてこのチームでJFLへ上がる事の意義などを伺っている。ここからは黄監督のインタビューと共に、当時の朴、李両選手の言葉もお届けしたい。複数の言葉を紹介する事で、彼らの思いをより深く知ってもらえればと思う】
-在日コリアンのチームがJFLに上がる事は、意味のある事だと思います。
黄 昔の流れで言えば、在日朝鮮蹴球団が『 幻の日本一 』と言われていましたけど、色々な事情で活動が無くなってしまった。それでも、在日コリアンのサッカー選手も若い子がたくさんいるので、そういう選手達に少しでも良い環境を与えられればなと。そういうチームが夢や希望を与えられる。朴世訓も言っていたんですけど、個人でJクラブに入って在日コリアンの人達に夢や希望を与える事は、その人の頑張りで何とかなります。それはもちろん大変な事ですけど。
でもチームでやるというのは、みんなが頑張らないといけないので、本当に難しい事だと思うんです。チームは色々な人がいる中でやらなきゃいけないので、それこそやり甲斐があります。僕は個人としては上に行けなかったので、チームで行きたいという気持ちがあります。本当にやっと目が出てきて、もう一息の所まで来ました。昔話ですけど、都リーグ1部の時は良い選手を誘おうとしても見向きもしてくれなかった。今でもそうですけど、JFLに上がればもっとレベルの高い所でやれる。サッカーをやりたくても続けられない選手もいますし、そういう人達にプレーする環境を与えるのも、このチームの一つの目標です。JFLに上がれるかどうかというのは、在日コリアンのサッカー界にとって大事なターニングポイントになると思います。
【FC KOREAに来た理由は三者三様だが】
朴 大学を出るまではプロ選手を目指していて、J2クラブの練習に行かせてもらったりしていました。結局プロになれなかったんですけど、サッカーで上に行きたいという気持ちはありました。どうしようかという時にマネージャーの成さんから連絡が来て、FC KOREAに誘われました。
李 (2010年に東京V退団後も)プロ選手としてやりたくて、JFLクラブという選択肢もあったんですけど、先輩に誘ってもらって。色々考えてFC KOREAでやろうと思いました。
「JFL昇格が実現したら本当に凄い事だなぁと」
-黄監督は2004年に一度KOREAでプレーしていますが、そのきっかけは何だったのですか?
黄 今はもう辞めてしまったんですけど、僕の同級生がいたんですよ。大塚製薬(当時JFL)で、なかなか試合にも出られずチームを離れる事になって、ちょうどFC KOREAにいたんです。サッカーはどこかでやれたらと思っていたので、同級生もいましたし「どうせやるならKOREAでやれたら」と。JFLを目指している話をマネージャーの成さん達がしていて、凄く熱く語っていて「夢のある話だな」と。自分もこのチームに入る時に、「それが現実になってJFLに上がったら本当に凄い事だな」と思って入りました。しんどい事も多かったですけど、キッカケは友達がいたから。今の子達も同級生がいたりとか、そういうキッカケで来たりしているのかなと。