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#1 スペリオ城北 宮坂一朗GMインタビュー Vol.1

「サッカークラブは地域の人を繋ぐコミュニティ、ひとつの“インターフェイス”になる」

-北区の赤羽スポーツの森公園が完成する事が決まったのも6~7年前、ちょうどチーム設立と同じタイミングだったと思います。一連の経緯をお聞きしていると、最初から“地元地域と行政と経済”が連携する事を目標に掲げてスタートを切っているように感じますが?

宮坂 そうですね。JCは(40才以下の)若手経営陣が多いわけですけど、私が在籍していた当時の、ランシールズ設立に関わる前からの、それこそ25才くらいから北区の行政と若手経営陣との産業振興の勉強会、などを通してコミュニケーションを取っていました。当時の同年代だった人達が今、JCの理事になっていたり、行政側では課長職や部長職になっています。そういう意味で長く付き合ってきた事も、現在チームを運営している上では、本当にかけがえの無いプロセスだったと思いますね。

-以前からの行政の方達との関係が、更にチーム設立がきっかけでより深くなったというわけですね。

宮坂 もともと、赤羽スポーツの森公園があった場所は自衛隊の補給基地でした。また、周辺の国有地にはナショナルトレーニングセンター・国立スポーツセンター・西ヶ丘サッカー場がありました。自衛隊の土地を区に払い下げる計画がある中で、行政に(スタジアム建設するような)そんな大きなお金が無いから、公園を作る助成金を使って、知恵を絞りながら北区が赤羽スポーツの森公園競技場を建てたんだと思います。よく見るとスタンドの名称が、観客席でなくて“選手控席”になっていますよね(笑)

チーム設立の頃から、自衛隊の跡地にサッカー場を作る青写真が見えてきたのは傍で感じていました。また、人・物・金が集まってチームを作るのはいいけれど「グラウンドを確保するのが大変だ」という情報も入っていました。ハード・ソフト両面の部分を考えても、うちがキチンと運営をやる事で、行政から信用される対象になれればと思いましたし、Jリーグに行けるかは分からないけれど「そうなれば良いよね」と色々な方が言ってくれました。

-周りの方達から赤スポ建設の聞いていた時期でもあり、宮坂さんの中でチーム設立に繋がった、と。

宮坂 当初、一番繋がらなかったのがサッカーと地域との連携という部分です。地域のサッカー環境がどう変わっていくのか、自分では情報は得にくかったのですが、他の方から情報が得られる事も分かり、色々なファクターがこの地域に出来てくるのだと思いました。サッカーというソフトを、人格のある団体が運営をしていけば、地域からの信用も得られるだろうと。

-行政としても、施設を地元区民に開放して、スポーツチームに積極的に使って欲しいと?

宮坂 そうだと思うんですよね。

-サッカーが地域と人を繋ぐコミュニティになるような

宮坂 一つのインターフェイスなんですよね。

-行政との関係ですが、北区とは密接だと思います。チーム名でもある城北は、5つの区(豊島区、板橋区、足立区、葛飾区、北区)がターゲットであると謳っていますが?

宮坂 まだ周りの区まで浸透しているわけではないですね。“城北”というには恥ずかしい状況ですが、そういう意味では未来予想図の中にある言葉ですね。城北と言うにはまだ力及ばずです。

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