第22回 なぜFC東京なのか(後編)
【FC東京ソシオ歴10年 山中さん(55歳・男性)の場合】
「ジョージ与那城が活躍していたJFL2部時代からのヨミウリファンで、Jリーグが始まってからもヴェルディを応援してきましたが、2003年シーズン終了後、FC東京サポーターに転向しました。現在、ソシオ会員で、メインスタンドのペアシートを持っていますので、よろしければご招待します。一緒にFC東京の試合を観戦しませんか?」とメールをくれたのが、山中さんだった。ありがたいご提案だったが、招待ではさすがに気が引ける。そこで、私はチケット代に見合う程度のお土産を持参し、5月18日のJ1第12節、清水エスパルス戦を山中さんの隣で観戦することになった。
待ち合わせは、キックオフ1時間前の午後6時。私は柵越しに、山中さんからチケットを受け取り、入場した。この日の入場者数は2万4003人。キャパシティの半分程度だが、場内は大混雑である。特にドロンパの周りは、二重三重の人だかり。ふーん、人気あるんだ。案内されたのはメインスタンドの中央からやや左手あたり。座席の間隔が広く、かなりゆったりしている。こんな席でサッカーを見るのは初めてだ。お値段はペアで16万円とのこと。高い!
中学生の頃、山中さんは読売クラブの育成組織の練習に参加した。芝生のピッチでサッカーができることに、いたく感激したそうだ。以来、ほかのチームとは一線を画す、ヨミウリのサッカーの虜となった。
「蹴って走るだけのサッカーは嫌いだったんです。ボールを丁寧につなぐ、美しいサッカーが好きだった。ヨミウリはね、パスサッカーと言われ、それはあながち間違いではないのですが、最大の特長はショートカウンターの鋭さですよ。ここぞという場面では、縦にめちゃくちゃ速かった」
1993年、Jリーグ開幕。ヴェルディ川崎(当時)の人気はずば抜けており、山中さんはチケットがなかなか入手できず、主にテレビ観戦だった。そして、V川崎がリーグ連覇した直後の1995年、山中さんはアメリカに赴任した。帰国したのは2000年のことだ。東京には新しいクラブが誕生していた。
「ヴェルディを応援しながら、せっかくだからFC東京もちょっと見てやろうかという気分で会場に足を運びました。結構なインパクトがありましたね。サッカーは縦ポンだし、内容的にはそれほど見るべきところはなかった。ところが、心にグッときたんですよ。勢いというか。理屈じゃないんだよな。とにかく走りまくって、ボールを追いかける。サッカーの原点のようなものを感じた。サッカーそのものより雰囲気。サポーターを含めた会場の空気感が楽しかった。ゴール裏の連中、とんがっててね。最初に観戦したのが、国立競技場で行われた名古屋戦。ピクシー(ストイコビッチ・現名古屋監督)が大活躍したんですよ。彼らは盛大なブーイングを浴びせつつ、素晴らしいプレーには拍手を送った。非常に面白いと感じました。みんな弱者を自覚していて、ヴェルディやマリノスに追いつけ追い越せだった」