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#21 横河武蔵野FC 金守貴紀選手&岩田啓佑選手インタビュー

-2人は早稲田大学時代のチームメイトですが、大学で知り合ったのですか?

金守 そうですね。それまでに試合をした事も無いですね。

「金守さんはクレバーな選手。大学時代は遠い存在でした(岩田)

-お互いの第一印象はいかがでしたか?

岩田 早稲田には名の知れた選手が沢山いて、「みんな上手いな」と思っていました。その中で金守さんは、僕が入った時は既に不動のレギュラーでやっていたので、ちょっと遠い存在でした(笑)

-気軽に話せる感じではなかったと。

岩田 いえ、早稲田はそんな雰囲気は無いので、そんな事はありませんでした。選手としての印象は、「とてもクレバーだな」と。

-金守選手から見た岩田選手の第一印象は?

金守 鈴木修人(現ギラヴァンツ北九州)と同じポジションで、プレースタイルも似ているなと思いましたね。

-現在、強化担当をされている依田(博樹)さんに伺ったのですが、金守選手は大学を1年留年して、その1年は横河でプレーしていたと。どのような経緯で横河に来る事になったのですか?

金守 インカレ(大学4年時)が終わるまでJクラブ入りを目指していたんですけど、結果的にどこからもオファーがなくて、進路の事を当時の早稲田の監督だった大榎(克己)さんに相談しました。横河電機の人事に大榎さんの同期の方がいて、紹介してもらったのが最初でした。

「就職活動もせず、最後までプロを目指してました。でも今は、この選択は間違ってないと思う(金守)」
「大学で試合に出れないならプロで通用しない。でも、仕事をしながらサッカーを続けたかった(岩田)」

-大学を卒業するまでの1年間を横河で過ごしましたが、その時は他クラブに行きたいという気持ちは無かったですか?

金守 全然無かったですね。「横河でやりたい」という気持ちでした。

-岩田選手が横河に来た経緯を教えてください。

岩田 一般の学生と同じように就職活動をしていて、横河電機も選択肢の一つに入れていました。最終的に横河電気㈱と、もう1社受かっていたんです。色々と考えた時に、先輩方は社員として働きながらサッカーをやっていましたし、学生時代に(横河武蔵野と)よく練習試合もしていました。大学を卒業してからもサッカーをやりたいという思いがあったので、横河なら仕事もサッカーも出来ますし、金守さんなど先輩方がいたというのもあって、こちらにお世話になる事に決めました。

-就職活動は大学3年の後半から本格的に始まると思うのですが、サッカーもやりながら就活をするというのは大変だったのではないですか?

岩田 僕の場合は、大学でそんなにバリバリ試合に出て活躍しているという選手ではありませんでした。3年生までは試合に全然出ていなくて、4年の時に出始めたくらいだったので。大学まで積み重ねて来て、公式戦に出られないという事は、「例えプロに行けても難しい」という気持ちでした。プロには行きたかったですけど、「大学で試合に出られないという事は、プロでも通用しない」と実感しました。踏ん切りというか、「プロが全てじゃないな」という思いもあったので、仕事をしながらサッカーがしたいなと思って、こういう決断になりました。

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