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#14 横河武蔵野FC 吉田康弘監督インタビュー

横河武蔵野FC特集 第1弾 吉田康弘監督インタビュー

1939年に横河電機サッカー部として産声をあげた横河武蔵野FCは、JFL加盟チームの中で最も長い歴史を誇るクラブとなる。2009年にはクラブ史上最高のリーグ2位という成績を残し、“JFLの門番”としてJリーグ昇格を目指すクラブの前に立ちはだかってきた。2003年に現在の「横河武蔵野フットボールクラブ」にチーム名称を変更。企業チームからクラブチームへとクラブ運営方針を転換させ、2006年に運営法人「特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブ」を設立、現在に至る。

2012年の天皇杯ではJFLクラブで唯一となるベスト16に進出し、クラブ史上初となる快進撃で一躍世に知れ渡る存在にもなった。そして今シーズンから吉田康弘氏が監督に就任し、新たなスタートを切る。吉田氏は1992年に鹿島アントラーズでプロデビュー後、清水エスパルス、サンフレッチェ広島などでプレー。2010年に引退すると翌2011年から2年間、明治大学サッカー部と横河武蔵野FCのコーチを務めている。また、海外クラブへの挑戦や、国内アマクラブでのプレー経験など、Jリーグ以外の世界を知る人物でもある。東京偉蹴FOOTBALL編集部では、現在のアマチュアクラブの環境面や今季の横河武蔵野FCについて、監督のサッカー観などインタビューさせていただいた。(インタビュー日:2013年1月)

まだ寒さで身震いする1月の横河電機グラウンド。チーム始動からまだ日が浅く、当面は走りのメニューが多い。この日も、選手達は練習開始からほとんど走っていた。それもあってか最後のミニゲームは選手達のテンションが高い。疲労困憊のはずだが、ボールに触れる事を喜び、活き活きとボールを追いかける。練習終了後は我々もピッチに呼ばれる。インタビューは予定していたクラブハウス内ではなく、ピッチ脇に変更された。 「彼らの様子を見ながらでもいいですか?」 居残り練習を続ける選手から片時も目を離したくないという新監督の心境が早くも伺えた。

-本日は宜しくお願いします。今日はかなり走りのメニューが多い練習でしたね。

吉田 オフに体を動かしていた選手もいると思うんですけど、まず体をいじめ抜くという事を、この時期はやっていこうと思っています。特にサッカーというスポーツは『走れる事』がもの凄く大事だと思うので。

「監督という仕事は常にイメージしてきた」

-クラブからの監督就任の話は、いつ頃から出ていたのですか?

吉田 『いつかは(監督)』という話は以前(コーチ時代)からありました。僕自身、そういう日が来る事をイメージしながら、ずっとやっていました。

-いずれは横河武蔵野でやりたいと?

吉田 監督をやること自体、やはりイメージは持っておかないといけないですし、いつそういう話が来ても良いように準備はしていました。今回のタイミングで、横河武蔵野とご縁があったということで、引き受けました。

-「監督をやるならJリーグで」という想いはなかったのですか?

吉田 将来は分からないですけど、今はこの素晴らしいチームで監督が出来るので、精一杯やるだけですね。

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