#7 日テレ・ベレーザ 野田朱美監督インタビュー Vol.1
日テレ・ベレーザ 野田朱美監督 ロングインタビュー Vol.1
読売サッカークラブ女子・ベレーザとして1981年にクラブが創設されて以降、国内女子サッカー界の普及と発展に貢献してきた日テレ・ベレーザ。1989年に発足した日本女子サッカーリーグ(現・プレナスなでしこリーグ)では、通算12回のリーグ優勝。そのうち1990~93の4連覇、2000~02の3連覇、2005~08の4連覇と、強豪クラブとして女子サッカー界を牽引してきた。
なでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝で沸いた2011年、そして今夏のロンドン五輪では金メダル獲得への期待も膨らむ。ベレーザ、日本代表選手として活躍した野田朱美監督の現役当時は、今ほど女子サッカー界の環境は整っていなかった。1996年に現役引退した後、サッカー解説者などを経て、2008年から日本サッカー協会特任理事に就任し、日本女子サッカー界の基盤整備にも尽力してきた。そして2010年11月に指導者として古巣ベレーザに現場復帰となった。
クラブ運営会社である東京ヴェルディの経営危機もあり、主力選手が大量に移籍してしまった中ではあったが、監督1年目の2011シーズンはリーグ2位で終えた。現在、2012シーズンのリーグ前半戦を2位で折り返し、ロンドン五輪後のリーグ後半戦に向け、野田監督の『ベレーザ女王奪還への挑戦』は続く。東京偉蹴FOOTBALL編集部では、ベレーザ監督就任の経緯から、監督としての哲学・サッカー観まで幅広くインタビューさせて頂いた。(インタビュー日:2012年3月)
-本日は宜しくお願い致します。まずは2010年11月に監督就任された経緯を教えていただけますか。
野田 皆さんご存知の通り、ヴェルディが経営難に陥った時に、羽生社長と日本サッカー協会でご一緒だった経緯もあって、クラブOGとして羽生社長から「俺、女子のことわからないから手伝ってよ」と言われて。それでアドバイザーとしてクラブに来て、手伝ったのが始まりです。その時は監督を探す立場だったんですよね(笑)
-最初はアドバイザーとして係わるつもりだったと。
野田 ですが、厳しい台所事情でなかなかやってくれる人もいない。じゃあ誰でも良いのかというと、そうではなかった。ベレーザは強くて、代表選手がたくさん出るチームです。ということは個性的で、プライドも我も強い選手がウジャウジャいるし、誰でも良いという訳にはいかない。まず選手が受け入れてくれないですから。それも分かっていたので、監督探しには苦労しましたね。その時に羽生社長から「もうお前がやれよ、それが一番早いだろう」と言われて、自分の中でもそうだなと思いました。
-探す側から監督という立場に変わったわけですね。
野田 今まで色々な活動をしてきた中で、現場監督の経験がある事はこれからのキャリアを考えた時に、自分にとっても凄くプラスになると思いました。それと、絶対にベレーザというクラブを潰してはいけない、苦しい時だからこそ自分が出来る事もあるんじゃないか、と思い『ある種の挑戦』として引き受けました。
-元々、指導者には興味があったのですか?
野田 無かったですね。いや、嘘です(笑)。無かった訳じゃないですが、女子サッカー全体の事を考えた時に、自分の役割として『サッカー協会の中に入る=理事会メンバーなる』という事も大事なことだな、と。話は少し変わりますが、2011年のなでしこW杯優勝の一番の大きな要素、これだけのブームになる火付け役は、私は開催国ドイツのおかげだと思うんです。ドイツサッカー界の組織は凄くしっかりしていて、大会組織委員長は元代表選手の女性の方なんですね。女子委員長はサッカー協会の副会長で、その人も元女子代表選手なんです。