#3 スフィーダ世田谷FC 川邊健一監督インタビュー Vol.1
スフィーダ世田谷フットボールクラブ 川邊健一監督 ロングインタビュー Vol.1
2011年の夏、なでしこジャパンが女子W杯ドイツ大会で優勝し、国内女子サッカーの注目度は増した。今年はロンドン五輪も控えており、引き続き女子サッカー界への関心は高まるのではないだろうか。
女子サッカーの名門クラブと言えば日テレ・ベレーザを挙げる人が多いだろうが、東京には“もう一つのなでしこクラブ”スフィーダ世田谷FCが存在する。2011年、プレナス チャレンジリーグ(国内リーグ2部)に昇格し、初年度ながらチャレンジリーグEAST 3位という好成績を残した。女子サッカーの普及・育成を目的としたアカデミー組織も充実しており、今季のトップチームの目標は1部昇格を掲げている。
またチーム名にもなっている世田谷区という地域で、様々な活動を積極的に行っている。
東京偉蹴Football編集部では、クラブ設立や地元での活動、女子サッカーの育成や強化について、
川邊健一監督にインタビューをさせて頂いた。(インタビュー日:2011年12月)
-本日は宜しくお願い致します。まず、クラブ設立の経緯から教えてください。
川邊 スフィーダは2001年に誕生しました。当時(2000年~2001年頃)私は地元・世田谷の女子小学生(3~6年生)にサッカーを教えていたんですが、その子たちが小学校を卒業するとサッカーをやる場所が無かったんですね。この地域、世田谷区界隈に住む女子サッカー選手達に「中学生になってもプレーできる環境を作りたい」という打診があったので、2001年にクラブ設立に至りました。
-スフィーダ設立の前から女子サッカーの指導者をされていたのですね
川邊 私が小学生の時に教わったコーチの方が、当時、私の母校(小学校)サッカーチームの女子を担当していて、「ちょっと遊びに来ないか?」と誘われて、行くようになったのが指導者になるキッカケです。
例えば男子サッカーチームの場合は、小学3年生チーム、小学4年生チームと各学年ごとにチームがあるんです。小学3年生のお父さんが「息子が入ったからコーチのお手伝いしますよ」って事はよくあるんが、自分の息子さんが小学校を卒業すると、そのお父さんコーチも4年間で卒業という流れがあるんですね。
ところが、女子サッカーチームの場合は3年生~6年生で1チームを作るんですよ。だから6年生が卒業しても、3年生が4年生に、4年生が5年生に、と繰り上がるので終わりが無い。コーチが交代するタイミングが難しいんですよね。そんな事情があったのかもしれないのですが、私を「ちょっと遊びに来ないか」と誘ったコーチが1ヶ月したら辞められてしまって(笑)「あとは任せた」という形で、その後は私一人しかいなくて仕方なくずっとやっていたんです。
-スフィーダ設立当初から法人のサッカークラブの形だったのですか?
川邊 いえ、最初は任意団体という形で、地元の女子サッカーチームとしてスタートしています。当時、私が教えていた小学校の女子チームの卒業生が3人位しかいなかったので、1チーム作る為に残り8人を掻き集める事から始まりましたね。
-すぐに選手が集まりましたか?
川邊 2001年の時は選手が13人集まったのですが、サッカー未経験の子達も混ざっていたので全然勝てなくて、当時一番弱い中学校のチームに負けてしまうくらいでした。もともと、私が教えていた小学生の女子チームは東京都の中でも結構強くて、東京都選抜にも8人か9人が選ばれていたんですね。2002年になって(小学校を卒業した)その子達がスフィーダに入ってきてくれて、それを機にすぐ2002年の東京都女子サッカーリーグ3部を優勝したんです。それからは「優勝した強いチーム」って事で選手が集まるようになりました。