第18回 在日コリアン・サッカー(後編)
在日コリアン・サッカー(前編)はコチラです
日本人に負けるな
FCコリアを語るうえで、もうひとり重要な人物がいる。総監督の李清敬(リ・チョンギョン)さんは、その人と会ってみたらどうかと私に勧めた。名前は成燦淏(ソン・チャノ)。FCコリアの立ち上げを二人三脚で進め、マネージャーとしてさまざまな業務を一手に引き受けている人らしい。
東京都北区にある東京朝鮮中高級学校。埼京線の十条駅から徒歩で5分もあれば着く。FCコリアはここのグラウンドで週3回トレーニングを行っている。朝鮮学校を訪れるのは初めての経験だ。門扉をくぐったところに受付があり、男性がふたりいた。一応、名前を書くなどの手続きがいるかと思い、「FCコリアの練習を見に来たんすけど」と伝えると、「どうぞー。真っ直ぐ進んで左に入ったところにグラウンドがありますよ」とまったくのフリーだった。
時刻は夜7時。部活終わりだろう在校生とすれ違う。男子、女子ともにブレザーだ。やはり、チマ・チョゴリ(朝鮮の民族衣装で女子の制服)は着ていないんだ。日本人拉致問題が過熱した余波で、カッターで切り裂かれる事件が報じられたのは、10年ほど前のことである。
人工芝のグラウンドに集まっていたのは14、15人。統一のトレーニングウェアはないらしく、装いはバラバラである。グラウンドの隅には雪が積み上げられていた。1月14日、東京は大雪に見舞われ、2週間ほど経っても溶けきっていなかった。
7時半、練習スタート。フィジカルメニューが終わり、ボールを使ったトレーニングに移行する頃、チャノさんが現れた。この日は仕事関係の新年会があり、遅れると聞いていた。実は私がチャノさんと会うのは、この日が2度目である。初回は横浜駅そばの喫茶店で話をし、次はグラウンドで会いましょうと約束していた。
チャノさんは1971年生まれの41歳。私とほぼ同年代である。川崎市で生まれ、現在は藤沢市で暮らしている。勤務地の横浜からグラウンドに通い、折り返して藤沢に帰るのは楽ではないはずだ。
小中高大と一貫して朝鮮学校に通ったチャノさんの昔語りは面白い。
「サッカーは中学までしかやっていません。とんでもなくいやな先輩がいましてね。高校に上がってまた同じチームでサッカーをするのは堪らないと思った。僕らは選択の余地がないんです。チームを選べない。日本の高校に通う発想はなかったですね。頭にその考え自体が存在しない。中学のクラスで、日本の高校に通ったのはひとりいたけれど。それで高校は軟式野球部に入った。ド下手ですよ。超初心者なんだから。球拾いばかりでつまらなくて、1学期でやめました。それから何もしていない。大学もそう。でも、サッカーは好きでした。ずっと好き。メキシコワールドカップはテレビにかじりついて見ていましたよ。マラドーナの5人抜き。実況の山本さんの絶叫と一緒に僕も叫んでいた」