第18回 在日コリアン・サッカー(後編)
よって、サッカーの試合で北朝鮮と韓国が対決したら、北朝鮮を断然応援するという。その一方、チャノさんの外国人証明書に記載されている国籍は韓国だ。およそ10年前、とある事情により、朝鮮籍から韓国籍に変えた。ちなみに奥さんと娘さんは朝鮮籍である。私には複雑すぎてよくわからないが、国籍はその程度のもので、ハートは別らしい。
9時半、トレーニング終了。照明が自動的に落とされ、グラウンドは真っ暗闇に包まれた。チャノさんは私の相手をしながら、忙しく動き回っている。書類をベンチの上で書き、選手と何事かやり取りをし、どこかに電話を入れていた。最後に、私はJFL昇格へ向けたチームの手応えを訊ねた。
「JFLに上がる道は険しいですよ。それは間違いない。ただ、今年はS.C.相模原が昇格して抜けたから、ドングリの背比べだと思います。ほかのチームは勝機がない相手ではない」
さて、帰ろうかとしていると、チャノさんに対し、ある選手が憤まんやるかたないといった様子でまくしたてている。盗み聞きをするつもりはなかったが、なにせ大声なので、距離を取っても耳に入ってきた。どうやら、韓国から来た若手が不義理をやらかし、挨拶もなしに帰国してしまったようだ。目上の人を敬う儒教文化が強い影響力を及ぼす国との印象を持っていたが、そういうこともあるのか。
「実際、国民性はあまり関係ないですね。結局は人ですよ、人。ああやってたまにはガス抜きをさせてあげないと。アマチュアチームですから、ひとつに束ねるのにいろいろ苦労はあります」
そこへ、選手を辞めて九州の実家で仕事をすることになったという若者がやってきた。チャノさんは「元気でな」と言葉をかけ、少し疲れた表情を浮かべる。
今後、FCコリアは日本でどのようなポジションを築いていくのだろう。例えば、シンガポールにおけるアルビレックス新潟シンガポールのような特殊なチームもあるが、成り立ちが違いすぎてイメージが繋がらない。確実にいえることは、サッカーがなければ私はチャノさんと会っておらず、話もしていないということだ。別々の場所で生き、別々の楽しみや苦しみを見つけ、互いを知ることなく死んでいった。私とチャノさんにとって、本当に大事なことはそれだけのように思う。
(了)
(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカーマガジン』『スポーツナビ』など。著書に東京ヴェルディの育成組織を題材にしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。
海江田哲朗 東京サッカーほっつき歩記は<毎月第1水曜日>に更新します