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#22 横河武蔵野FC 小林陽介選手&冨岡大吾選手インタビュー Vol.1

-サッカー選手を目指す中で分岐点はありましたか?

冨岡 自分は大学卒業のときに、サッカーを続けるか、教員の道に行くかで迷いました。やはりサッカーは限界というか選手生活が短いので。そこで身体が動くうち、やれるうちにやりたいなという気持ちが強くなって、やるなら今しかないかなと思いました。

-どちらの道を選ぶか迷いましたか?

冨岡 かなり迷いましたね。やっぱりサッカーチームに入団するってことは、仕事の面とかお金の面で限界もありますし。それこそ親の理解もありました。けっこう悩みましたけど、最終的には周りの協力のおかげで横河に入ることができました。

-小林選手の分岐点はなんでしょう。

小林 自分は小学生ぐらいの時から、ずっとサッカー選手という夢を追いかけてきました。浦和レッズのジュニアユースでもそれなりに目標を持ってプレーしていましたが、浦和レッズユースの時に上の学年の大会で点を取ったり、結果を出した事によってサテライトの練習に呼ばれるようになりました。それがキッカケで、本気というか目標が明確になったというか、「ここでやるしかない」という覚悟ができたかなと思います。

-サッカーを続ける上で諦めそうになった瞬間はありますか?

冨岡 無いかな。そこまで大きな怪我も無くやってこれたので。

小林 無かったです。怪我って理由は大きいよね。

-逆に、ここまでくると今更サッカーはやめられないですよね。

小林 今更やめるのは難しいよね(笑)

冨岡 今やめるのは難しいですね(笑) それこそ、プロの世界はシビアで首を切られたりするけど、横河武蔵野FCではやらせてもらっているというか、プレーできる環境が与えられているので。サッカー選手を諦めるっていうのは無いかな。

-横河武蔵野FCから移籍された時()、生活環境の変化など不安になりませんでしたか?

小林 不安は無かったですね。むしろサッカーだけの生活になったので、何でもサッカーを中心に物事を考えることができました。家族に関しては、当時もう結婚していたので、嫁さんと過ごせる時間も長くなりました。サッカーに対してもお互い一緒に戦えるというか。

-「引っ越さなきゃいけないのか」とか言われたりはしませんでしたか?

小林 それはありました(笑) 「引っ越し貧乏になっちゃう」とか言われましたけど、なんだかんだ付いてきてくれたし、サポートしてくれたのでホント頭上がらないです。この先も不安だろうし、自分ももう少ししっかりしないといけないなとは感じます。

 小林選手は2007〜2008年にロアッソ熊本、2009〜2010年に松本山雅FCでプレー、冨岡選手は2011年にAC長野パルセイロでプレーしている

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