第25回 でも、応援するんだよ!
今季から指揮を執ることになった三浦泰年監督は、ヴェルディに新しい文化を持ち込もうとしている。練習終わりの「ヴェルディ締め」がなくなったのは、その象徴的な出来事だ。少なからず抵抗感はあるが、現場の責任者は思いのままにする権利がある。監督の仕事とは、常にクラブの体質との戦いだ。聖域を気にしてヘンに縮こまるよりは、好きにやってくれたほうがいい。とはいえ、どっちでも大差なしという結論だったら、戻してほしいけど。
狙いがはっきりしないといえば、三浦監督の指示により練習取材の事前連絡が必要になったこともそうだ。知り合いのライターからは「聞きましたよ。ちょっと興味のある選手がいても、それでは誰も取材に行く気にならないと思います。心情的に窮屈で。いまのヴェルディが、そんなんでいいんですか?」と言われた。そうだろうと思う。事前連絡といっても広報担当にメールを入れるだけで、大した手間はかからない。断られることもない。そもそも制限が必要なほど、メディアの注目を集めていない。ただ、私の場合は管理されるのがうっとうしく、この行為に何の意味があるのか見えないとあって、取材に行く気が失せてしまうことが度々ある。他のJクラブで同様の措置は、過去を遡っても寡聞にして知らない。
細かいことはさておき、クラブのやり方を見ていると、これで大丈夫かと心配になることが多い。現在のヴェルディを客観的に見れば、社長が先頭に立ってホームタウンにバンバン出て行ったり、監督や選手が顔を知ってもらう手間を惜しんではいけない状況のクラブだ。ところが、そういった活動はほとんど伝わってこない。では、ほかに何か特長的なことを打ち出せているかといえば、それも見当たらないから困る。最大の財産である育成組織も充分に活用できているとは言い難い。これまで私はさまざまなクラブの重責を担う人物を取材し、学んだことがある。大事なのは、その人が「何を言ったか」ではない。「何をしたか」なのだ。
こうしてついつい下を向きがちなとき、私は『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』と出合え、幸運だった。率直な感想は、おれも修行が足らんな。過去を振り返って、ヴェルディが万事順調な時期なんてありはしなかった。大波小波に揺られ、時には文句をブーブー言いつつ、楽しく応援してきたのだ。本の詳しい内容については是非とも買って読んでほしいが、最後にひとつだけ。ベイスターズの何が好きなのか? この問いについて、著者の村瀬さんはこう結んでいる。
〈その感覚は故郷みたいなものによく似ている。縁あってその場所に生れ落ち、近すぎるが故に貶めもするが、決して離れられるものじゃない。横浜の町には、そんな人たちの思いが積み重なっている〉
私にとっては、ランドがそうだ。子どもから大人まで、ぎゅっとなったサッカーの家。そこに折り重なった思いは、どこにも負けない自信がある。自分たちの船がどんな場所にたどり着けるのか、それを見てみたい。これは書き手としての業だ。それに、社交性が人並み以下の私が多くの人たちと知り会えたのは、ヴェルディのおかげである。十数年前、緑の門を叩くことがなければ、極端に狭い世界で生きることになったに違いない。
ヴェルディがくすんで見えると、Jリーグそのものが退屈に見えてしまう。ほかに魅力的に映るクラブが浮き上がってくるのかといえば、まったくそうではなかった。結局、自分にはここしかないのだ。そうと決まれば、元気を出して応援だ。
(了)
(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカーマガジン』『スポーツナビ』など。著書に東京ヴェルディの育成組織を題材にしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。
海江田哲朗 東京サッカーほっつき歩記は<毎月第1水曜日>に更新します