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『いしかわごうのウルトラなる挑戦記』 第4回 多摩川クラシコから考える“東京”

長々と書いたが、実はここからが本題だ。

多摩川クラシコというのは、普段、川崎フロンターレを取材している者として、 “東京”という存在を意識するカードである。だから、ここで語りたかったのは川崎フロンターレのことではなく、むしろ“FC東京”のことなのだ。(そもそもこのwebサイト「東京偉蹴Football」 は、東京のサッカーを取り巻く状況を伝えるメディアである)

「首都・東京のサッカーはもっと強くあって欲しいし、華々しいものであって欲しい」(中村憲剛)

そこで、改めて考えてみた。この日本の首都・東京を取り巻くサッカー文化ってどうなんだろう。

「どうなんだろう」ってこんな漠然とした書き方をされても読者も困るだろうけど、いや、ホントにどうなんですかね、東京のサッカー文化っていうのは。

ここで言いたいのは、J1・FC東京とJ2・東京ヴェルディに限定した話ではなく、JFLの町田ゼルビア、横河武蔵野などなど、首都・東京に存在する様々なカテゴリーのサッカークラブと、そのファンを含めた周辺、東京全体の話でもある。

「やはり首都・東京はもっと強くないと・・・」

8/10の多摩川クラシコの前に、中村憲剛選手ともそんな会話をした。ザックジャパンの常連組であり、川崎フロンターレの顔とも言える彼だが、実は東京都出身である。彼自身は全国的には無名に近い選手だったが、中央大学時代に練習参加した川崎フロンターレからオファーが来て入団を決めた。

「地元っ子ですからね。本来ならば東京でプレーするのが筋なんですけど・・・フロンターレがよく自分を獲ってくれましたよ」

それゆえにクラブに対する愛着も強いのだが、彼が生まれ育ったのはFC東京の練習場がある“お膝元”小平市だ。小学生の時に所属していた府中市のサッカークラブ(府ロクFC)では2学年上には、なでしこジャパン・澤穂希選手(現・INAC神戸レオネッサ所属)がいた。中央大時代に慕っていた宮沢正史(現・大分トリニータ所属。2001年〜2006年までFC東京所属)が入団するなどの経緯もあり、彼にとってFC東京は意識するクラブではあったようである。ここ数年の印象について聞くと、率直な意見を述べてくれた。

「まだ監督によって、スタイル・色が変わるチームですよね。やっぱり日本の首都・東京のクラブですから、ここがプロ野球の巨人のようになってくれないと。もっと華々しくなってもらえると良いのだけど・・・・」

日本代表に強くなって欲しいと願うサッカーファンは、きっと東京にもたくさんいる。日本代表の試合後、渋谷のスクランブル交差点で騒ぐ若者のニュースを見ると「なんだかなぁ」と違和感も感じる反面、じゃあ、「日本の首都である東京のサッカークラブにもっと強くなって欲しい」という声や関心が東京都民1300万人の中にどれだけあるのか。正直、まだまだ小さいように思えるし、だからこそ中村の感想もごく自然なもののようにも思える。

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