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第11回 静かなる人、叫ぶ

あなたが本当にコールリーダー?

私がタケルくんと初めて会ったのは、今年4月のことだ。第一印象は穏やかな人。物腰が柔らかく、話し方が丁寧で、人のよさそうな笑顔を浮かべていた。

タケルくんはJ2のFC町田ゼルビアのゴール裏の住人である。私設サポーターグループ『CURVA MACHIDA(クルヴァ マチダ)』の代表を務め、太鼓を叩いたり、コールリーダーをすることもある。そのときの用事は、町田のライブハウスで東京サッカーをテーマにイベントを開催するため、出演してほしいという話だった。

それほど数は多くないけれど、私はいくつかのサポーターグループのリーダーに会ったことがある。人柄はそれぞれだ。いかにも熱量過分な人がいれば、調整力に長けたスマートな感じの人もいる。共通するのは、会話の反応の速さだ。とりあえず、打てば響く。基本、臨機応変、即断即決の立場がそうさせるのかもしれない。

その点、タケルくんは変わっていた。仕切り屋には見えず、押しは強くなく、インパクトはごくフツーである。こちらの問いかけに、じっくり考えて返事をする。その種の人たちが持つ鋭利なものを感じさせない。初対面でわかることなんて、たかが知れているとはいえ、こんな人がゴール裏で先陣に立ち、熱狂的に応援しているんだなと面白かった。

興味が沸いた私は、イベントに出演したあとに改めてアポイントを取り、町田駅前の昔ながらの喫茶店で話を聞いた。

「生まれてから、ずっと町田育ちです。サッカーは小学生の頃にやっていましたけど、5年生くらいでやめちゃいました。上手ではなかったし、あまり楽しめなかった。中学と高校は陸上部で長距離走をやっていました。細かいことを考えず、ひたすら走ればいいから向いていたんだと思います」

タケルくんが15歳のとき、バンドブームが到来した。ブームの火付け役として知られるLUNA SEA(ルナシー/2000年活動休止、2010年活動再開)がインディーズ時代、町田を中心に活動しており、市内の中高生はこぞってバンドを組んだ。タケルくんも例外ではない。自身はベースを弾き、ライブハウスに足繁く通った。

「再びサッカーに興味を持つきかっけになったのは、2002年の日韓ワールドカップです。サポーターの盛り上がりが、ライブのオーディエンスのノリと似ていて、Jリーグの試合を見に行きました。近場のヴェルディ、マリノス、フロンターレ、FC東京、浦和。毎週、ロックフェスをやっているみたいだなと」

だが、結局どこのスタジアムに行ってもお客さんだった。ゴール裏に立ち入り、服装もそれっぽくしてみたが、その試合限りの盛り上がりに終わった。どのクラブも通い詰めるほどの衝撃を受けることはなく、繋ぎ止めるような人との出会いもなかった。マイクラブがあったら楽しいだろうな、と思った。

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