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第28回 ヴェルディのある生活

やり直しの2014年

クラッキのオープン当初、私は江戸川区の葛西で暮らしていた。東京ヴェルディの取材を始めて5年目。サッカーを書くことで稼ぐだけでは物足らず、もっと生活に取り込みたいと考えていたところだった。「立川はこれから面白くなるよ。引っ越しちゃえば?」というオーナーの言葉に、それもアリだなと思った。ほどなくして、自宅の書棚が地震で半壊し、引っ越しを真剣に検討し始める。そこで立川を選んだのは、クラッキがあったからにほかならない。ヴェルディのある街での暮らしを実践してみたかった。すぐさまアパートを探し、2005年9月には生活の拠点を立川に移した。

近所の諏訪通り商店街には、ヴェルディのペナントフラッグが掛かっていた。日々、その道を歩きながら仕事に行くのは気分がよかった。いつもフラッグを見上げながら歩いていたから、バカみたいに見えたと思う。そのヴェルディに彩られた道もなくなって久しい。応援ポスターを貼ってくれているショップには、「あっ、ヴェルディのポスターだ! ありがとうございます」と、そこに住んでいるファンがいることをアピールした。わざとらしさは否めない。だが、何もしないよりはマシだろうと思った。

試合のあとは、クラッキに寄るのが常だった。そこにはいつも誰かがいて、試合の感想を語り合った。酒の飲めない私は、ジンジャーエールを飲みながらだらだらと。勝っても負けても、家に帰るまでワンクッションあるのはいい。そうやっていくうちに、緑つながりの友だちがだんだん増えていった。場があるというのは大事なんだと、つくづく感じた。そこに集った人と人をつなげ、新しい何かを生み出す。

フットサル同好会のような活動もした。クラッキがなければ、自ら率先してボールを蹴ることはなかっただろう。ほいほい誘いにのってシューズを買い求め、コートで汗まみれとなり、そうしてヴェルディの枠を超えた人々と出会うことになった。

クラッキの閉店により、ヴェルディは貴重な民間の拠点をひとつ失うことになる。場があることの重要性は、無くなってみて分かることのほうが多い。この先、「じゃ、その話はクラッキで」と気軽に言えないことに気づき、失ったものの重さを知るに違いない。

街ぐるみでクラブを応援するというのは、どういうことなのか。残念ながら、私はその確たる感覚を得られないまま、9年目の冬を越そうとしている。実感としては、ホームタウンの雰囲気はむしろ後退している。街を歩いても、ヴェルディを感じさせるものはほとんど見当たらない。スタジアムや練習場が遠く、直接的なつながりを持たないというのがネックだが、それはよそのクラブと街の関係でも同じである。言い訳にはならない。

来年からは、いろいろやり直しだなぁと感じている。灯が完全に消えたわけではない。立川駅北口のレストランバー「STOLAS」(経営する夫婦は熱狂的なヴェルディサポーター)をはじめ、応援してくれる飲食店はいくつかある。

なお、クラッキは無くなるが、私に引っ越しの予定はない。自分はすでに立川の人間だからだ。いまの場所をどう変えていくかは、そこで生活する人の仕事だ。

(了)

(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『スポーツナビ』など。著書に東京ヴェルディの育成組織を題材にしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。

海江田哲朗 東京サッカーほっつき歩記は<毎月第1水曜日>に更新します
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