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第16回 ドライバーの心

集合写真も一緒

そういえば、ホーム最終節の横浜FC戦のあとセレモニーがあり、選手たちと肩を並べてスタンドに挨拶する伊藤さんを見た。7位という不甲斐ない成績に終わったことを思ってか、申し訳なさそうに頭を下げていた。

「3年くらい前、土肥さんや土屋さんが『最後の集合写真、一緒に撮ろうよ』と言ってくれて、その流れで自分も挨拶に加わることに。あの場にいさせてもらっていいのか、どうなんでしょうね」

話はそれるが、そもそも結果が出なかったからといって、謝る必要なんてどこにあるのだろう。よほどデタラメなことをしたケースを除き、詫びるという行為自体が決定的に違うと思う。サポーターには一緒に戦おうと呼びかけ、みんなそのつもりでいただろうし。毎年、あちこちで社長や監督が悲痛な顔をして「期待に応えられず、申し訳ない」とか言うのを見るたび、釈然としない気持ちになる。結局、ほかに言いようがなく、表現の幅が狭いものだから、形式じみた一番楽な対処を選んでいるように見える。選手が敗者なら、サポーターも敗者だ。そこで、叱咤のブーイングをしようが激励をしようが、それは個人の自由なのだろうけど。

なお、荷物車のドライバーとチームの関わり方は、クラブによって違いがある。運搬係に徹し、チームとほとんど接触のないクラブもあるそうだ。「俺はとても恵まれているんです」と伊藤さんは言う。縁の下の力持ちをファミリーとして扱う、東京ヴェルディの誇れるところだ。

「好きなんですよね、伊藤さんのこと。大変な仕事じゃないですか。だいぶ腰が痛いみたいだし。でも、いつも明るく振る舞っている。昔からいる選手は、もう自分くらいしか残っていないんですよ」
と言うのは飯尾一慶。伊藤さんとは、ほぼ同期だ。もっとも年齢的にはふた回りほど違うが。
会えば他愛もない話をし、「ゆっくり身体を休めて」と飲み物を差し入れたりする。

試合がある日の前後を除き、伊藤さんはシャトルバスの運転手をしている。
決められた区間を一日に何度も往復する。
「そりゃあ、サッカーの仕事のほうが楽しいよ。チビ(飯尾)みたいに付き合いの長い選手がいて、ちょっとした出会いもあるし」
一部のサポーターには面が割れており、高速道路のドライブインで立ち話をすることがある。サッカーを通じて、人とのたしかなつながりを実感する瞬間だ。

例えば、高速バスの運転手は長距離になると2人体制だが、伊藤さんに相棒はいない。道中、適度に休憩を取りながら目的地を目指す。試合の帰りは、たまにスタッフが乗っていくことがある。話し相手ができるのがうれしく、また心強くもある。隣でイビキをかいて寝られても平気だ。

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