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第14回 伝えたいこと

「某女子クラブチームの練習に何度か参加させてもらったんですが、練習場が遠くて通うのが無理でした。最後の手段として、高校のサッカー部の顧問の先生に入れてほしいと直訴したんです。『はっ?』と言われて、女子は入部できないと言われたんですが、わたしが諦めないものだから、『だったら、とりあえずやる気を見せろ』と。それで3ヵ月くらい、毎日3時間グラウンドを走ってました。先生が見かねて、ボールを蹴っていいよと言ってくれて、今度はひたすら壁打ちです。うう、話しているうちになんだか寂しくなってきた」

キャプテンの男子は面白がってくれたが、ほかの選手からは「女子と一緒にサッカーなんてゴメンだ」とはっきり言われた。どうにか入部が許されたとはいえ、公式戦には出られない。練習では、接触プレーで鼻血がブーッと吹き出した。そして、1年の月日が流れ、ある日やっさんの下駄箱に手紙が届いていた。

「女の子の字の手紙でした。女なのに、自分だけ特別にサッカー部に入れるなんてズルいと。たぶん好きな子がサッカー部にいたんですね。それでヤキモチを焼かれてしまったのかなぁ。こっちはプレー中に身体をぶつけ合ったりしているものだから。そんなのしょうがないじゃんと思ったけど、それがだんだんエスカレートしてきて」

結局、そのトラブルが元で、やっさんは選手としてプレーできなくなり、サッカー部のマネージャーとなった。流行りのはちみつレモンを、こんなもの疲れた身体に本当に効くのかと疑わしく思いつつ、一生懸命作った。ボールを蹴るのは週に一度。小田原市のママさんチームに入り、辛うじてプレーを続けた。

「自分が男子だったらよかったのに。何度そう思ったか。高校生のときは特に強く感じました。高校サッカー、好きなんです。そのときだけのメンバーで、限られた時間をともに戦う。本当は自分もそこにいたかった」

まさかの邂逅

やっさんは大学生になった。サッカーは半ば諦めていた。きちんとした指導を受けず、ほぼ我流のトレーニングを積み、試合では全力でプレーするものだから、慢性の筋肉系の故障を抱えていた。

「一度は大学のサッカーサークルに入ったんですけど、チャラチャラしていてすぐに辞めました。辻堂の女子チームに入ってプレーしたり、たまにフットサルをしたり。そろそろ新しいこと、文化的なことを始めようかなと考えだしたのが、こっちの世界に来るきっかけです」

やっさんは芸能事務所に入り、競艇のイメージガールとしてデビューした。大学3年生の頃だ。バラエティ番組のひな壇に笑顔で座り、かの有名な『スーパージョッキー』の熱湯コマーシャルにも2回出たことがある。芸能人の水泳大会では、騎馬戦で林家ぺーの上に乗った。歌唱力には多少自信があり、事務所に入った頃は歌手路線で行くと聞いていたのに、回ってくるのはそんな仕事ばかりだった。なお、事務所からはサッカー禁止の通達を受けていた。ボールを蹴っているひまがあるなら、エステに通えというのが芸能界の論理である。

だが、やっさんは粘り強い。新しいことを始めた以上、3年はやってみなさいという親の教えを受けている。何より、ファイトがあった。

「テレビ番組や舞台のオーディンションをバンバン受けて、バンバン落ちて。どうしても納得がいかず、審査員の帰りを待ち伏せしたこともあります。自分のどこが悪いのかはっきり言ってほしい、と。こういうのは嫌われることのほうが多いと思いますけど、中には別の仕事で使っていただけたこともあります。面白さを感じるようになったのは、リポーターの仕事を始めてからですね。旅番組やワイドショーなど、何かを伝えてリアクションが返ってくるのが楽しかった」

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