第3回 コウヘイくんの話
マスターは私とコウヘイくんの会話を心配そうに聞いている。私の仕事がうまくいくかどうかではない。あけすけに話すコウヘイくんのことを心配しているのだ。そんな昔のこと、人聞きの良くない話はしないほうがいいよと気を揉んでいる。いい人だなと思った。
気分を変えて、サッカーの話をする。
「原さんは好きですよ。でも大好きじゃない。あの人はプロの監督として勝負に徹しきれない。どこかに情が入る。そこが好きですね」
「Jリーグなんか面白いの? と聞かれることがある。そしたら、テレビでサッカーを見てどこが面白いの? と聞き返します。テレビでは、前線のFWがカウンターを仕掛けたくて、じりじりしている様子は見られない」
「東京が本当に盛り上がるときは、ゴール裏とバックスタンドが共鳴する。最近はとんとご無沙汰ですけどね」
03年8月5日のレアル・マドリードとの親善試合、スタンドの8割がレアルのファンで埋め尽くされていた。コウヘイくんは「こいつら、いつもはスタに来ないくせに、こんなときだけ集まりやがって」と思う。そして試合後、藤山竜仁(現FC東京普及部コーチ)が自分に手を振ってくれたことに胸を射抜かれた。マスターが「そんなのわかんないじゃん」と笑っても、「いや、あれは絶対に俺を見て手を振ったんだ」と言い張る。あらためて、自分はFC東京に心を奪われているんだと認め、それまで好きだった海外サッカーへの興味が失せた。
夢中になれるチームがあったこと
実際、コウヘイくんがFC東京を応援していて困ることはある。ひとつが友だちと連れ立って行くアウェイ遠征のお楽しみ、温泉だ。地域によって異なるが、基本的にタトゥーの人はお断りされる。そんなときコウヘイくんは足裏マッサージでもしながら、みんなが風呂からあがるのをおとなしく待つ。
たまに入れる温泉があったらあったで、脱衣所で面識のないサポーターから話しかけられ、「どちらからですか?」「今日は勝ってよかったですね」などと楽しく会話をしていても、いざ服を脱いだら顔色を変えられる。「急に敬語になるんですよ。ひどい」と不満げだが、それはコウヘイくんがわかってない。誰だって、いきなりそんなもん見せられたら気が動転しておかしな言葉遣いになる。
今となっては、コウヘイくんのタトゥーに対し、友人たちはさばけたものだ。「初めて見たときはちょーびびりましたよ。やべえ人と話しちゃったと思った」と笑い、雨でずぶ濡れとなり仕方なく服を脱いだときは「もう1枚着てるじゃん。ちゃんと脱がないとカゼひいちゃうよ」とからかわれる。
味の素スタジアムでの観戦はバックスタンド派だ。いつも座っている席からはオフサイドラインの攻防がよく見える。それがとても気に入っている。
「サッカーに救われた。そんなふうに思ったことはないけれど、サッカーがなければ、とことん夢中になれるチームがなければ今の自分はないです。それだけははっきり言えます」
(了)
(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『季刊サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカーマガジン』『スポーツナビ』など。