第3回 コウヘイくんの話
刺青の男
ずっと気になっている人がいた。
3年前の夏、明大前にある「Cafe Bar LIVRE」(FC東京ファンの集まる店。以下、リブリ)で、東京ダービーのトークイベントをしたことがあった。当時は東京ヴェルディ、FC東京ともにJ1である。双方の番記者が思いのままにしゃべり、FC東京の前監督である原博実さんがビデオ出演してくださったと記憶している。
イベントの最中、私は視界の中に引っかかるものをとらえていた。その男性は夏なのにオフホワイトの長袖シャツに、白の七分丈のパンツ姿。年齢は20代後半か30歳を過ぎたあたりか。どうして長袖なんでだろうとチラチラ見ていたら、腕や足のすねに刺青がのぞいている。こちらの話にゲラゲラ笑っている胸元からも彫り物が少し見えた。
ギョッとしたのである。かなりのド迫力で、どう見ても素人の手遊びではない。私は刺青やタトゥーといったものに詳しくなく、何を基準に玄人とするのかわからなかったが、とにかく本格派に違いないと思った。イベントの休憩中に様子をうかがっていると、どうやら常連客のようで周囲の人たちとよく馴染んでいる。気のいい青年らしく、終了後は拍手で送り出してくれた。
帰り道、私はサッカーの懐の深さを思いつつ、想像たくましく考えた。まさか現役の極道ではないだろうが、もしかしたらその筋を経た人であり、FC東京を応援するために足を洗ったりしたのだろうか。根拠は一切なかった。が、それを否定する材料も持たない。だとしたら、是非いつか会って話を聞いてみたいものだ。何かと忘れっぽい私だが、このことはいつまでも憶えていた。
8月中旬、リブリのオーナーに電話をし、相談した。かくかくしかじかの理由で興味の沸く人がいる。そもそも、彼はまだお店に出入りしていますか、と。
「はいはい、コウヘイくんのことね。話す気があるかどうか聞いてみますよ」
後日、会ってもいいという返事があり、リブリで話を聞くことになった。
「とにかくリセットしよう」
コウヘイくん、若い頃からタトゥーに関しては「凄まじく興味があった」。17歳のとき、一念発起して浅草の有名な彫り師を訪ね、「せめて高校を出てから来い」と追い返されている。19歳、音楽修業のためロンドンに1年間滞在し、右肩に黒いペガサスのタトゥーを入れたのが始まりだ。
以降、帰国してから年を刻むごとにタトゥーの数が増えていった。左胸は三つ目の青鬼。背中にはゴジラとキングギドラを和風にアレンジしたもの。おなか以外のスペースは全部埋まっている。「人を威圧するものではないから、ふだんは見せないようにしている」そうである。
FC東京の試合に通うようになったのは、1998年のJFL最後のシーズン、仕事関係の人に誘われスタジアムを訪れたのがきっかけだ。サッカーはもともと好きだった。初観戦は87年の元日、天皇杯決勝の読売クラブ対マツダSCの試合だった。
青赤熱が高まり、試合に通う頻度が増えてきた頃のコウヘイくんは、人には大っぴらに言えない仕事をしていた。警察のお世話にはちょいちょいなったが、牢屋にぶち込まれた経験はない。転機は忘れもしない。02年6月18日、日韓ワールドカップの決勝トーナメント、日本代表がトルコに敗れた翌日だった。
「当時はいろいろあって、あのとき自分に起こったことは話したところで誰にも信じてもらえない。きっと幻惑だと言われる。だから話したくありません。まあ、それは自分の中で完結しているのでいいんです。とにかく、殺されてもいいからリセットしよう。しなきゃダメだと思った。サッカーとの直接的な関係はないです」