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TOKYO DECADE(後編) ~これまでの10年、これからの10年~

話は少し逸れてしまうが、大昔(と言っても150年前ほど)の東京は、武蔵国の”江戸”や”武州多摩”と呼ばれていた。これは現代の東京でも、東と西の違いとして色濃く残っている。更に細分化して山の手、下町、ベイエリア、武蔵野、奥多摩、など、それぞれの地域性を表す言葉も多く、日常的に使われている。「都の西北~」で始まる大学の歌詞があるが、それはどのエリアを指すのか?「江戸っ子」とはどのエリアの人の事を言うのか?実はローカル、地元の人にしか分からない境界線は確実に存在している。

サッカーは東京ローカルが色濃く出やすい

東京の中の地域性というキーワードは、実はサッカークラブの存在でより明確に描けるのではないか?そう思っているのは決して筆者だけではない。今現在、サッカークラブに携わっている多くの人達が、それを意識して日頃から活動し、それぞれの色・アイデンティティを確立しようと努力し続けている。

東京には”江戸”川もあり”多摩”川もある。六本木や新宿・渋谷といった繁華街もある。芝浦・お台場といった東京湾岸エリアもあれば、青梅・桧原といった奥多摩エリアもある。埼玉県境が城北エリアと呼んでいる事を、長く東京に暮らしている筆者は、サッカークラブの名前で知り、東京ローカルとサッカークラブの共存の可能性に気付かされた。

全てのクラブ名を、この限られた文字数のコラムで列挙していくは無理があるが、ちょっと興味を持って調べれば、自分の住む街のすぐ傍に(大小を問わなければ)地域名を名乗るクラブチームは出てくるだろう。そして、ちょっとした時間がある時に、そのチームの試合を見に行ってみては、と思う。

今後の東京偉蹴FOOTBALLでも、それぞれの街や人やクラブを丁寧に紹介していくつもりだ。皆さんにも『今、何が東京のサッカーシーンに起きているのか?』に是非注目して欲しい。できれば身近なクラブを1つ見付けて、追いかけてみて欲しい。そして、皆さんと一緒に東京のサッカーを盛り上げていきたいと思う。

そうした我々の情熱が源泉となり、日本の首都・東京のサッカーが更に発展する事を期待している。10年後に「フットボール・ネーションの首都・東京」として世界に紹介される事を願って、改めて”フットボールのある日常”を過ごしてみたいと思う。 (了)

2011.7/25(月)

KITASAWA GOTA (東京偉蹴FOOTBALL編集部)

 

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