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第12回 サッカー居酒屋(前編)

頭上にはチアホーンが

私は酒が飲めない。まるっきり下戸である。したがって、陽気に酔っぱらったこともなければ、酔った勢いで何かをしでかしたこともない。しでかしてしまったときは常に正気だ。言い逃れはできない。体質の問題であり、今さらどうしようもないのだけど、酔うという感覚と生涯無縁なのは残念に思う。

20代半ばの頃、ライターの稼ぎでは全然食えなくて、トラックの助手のアルバイトをしていた。先輩のライターから「居心地のいい場所で生活費を稼いでいたら、やがてそっちに流れちゃうよ。人間は弱い。結局、カネが大事になるから」と言われ、キツそうな肉体労働を選んだ。

真夏、首に巻いたタオルはすぐに汗でぐちょぐちょになった。ベトついた身体に作業着がまとわりつくのも厄介だった。仕事で組むドライバーのおじさんはハンドルを操りながら、私にこう言った。

「午後3時以降は、一滴の水分も摂らない。家では女房がキンキンに冷やしたビールを用意して、帰りを待っている。グラスは冷凍庫で凍らせておくんだ。最高にうまいぞ。それが俺の楽しみだ」

そのビールは本当にうまそうだと思い、次の日に真似をしてみた。だが、やはりビールよりもポカリスエットやジンジャーエールのほうがうまいと思った。

先だって、そんな私がひとりで居酒屋の暖簾をくぐった。場所は渋谷駅前のバスターミナルから歩道橋を渡り、路地に入ったところ。時間は夕方の5時半を少し回ったあたりである。ここを訪れるのは2回目だ。初回はおよそ2年前、友人に連れられてやってきた。

カウンターに座り、ウーロン茶と枝豆を注文する。腹が空いており、モツ煮込みと豚バラの岩塩漬けも追加した。厨房では、「負けないぞ! 岩手」のTシャツを着たマスターが、てきぱき料理をこしらえている。私は料理人について特別な知見を持たないが、ベテランの仕事は無駄がなく、手先の動きが美しい。厨房の戸棚にヨハン・クライフのポスターが貼られているのはここくらいのものだろう。

マスターが常連客らしき女性と話をしている。何度かジョークの応酬があり、「それで○○ちゃん、うちの店、買ってくれるの?」と笑いながら言った。

そう、ここ「サッカー居酒屋いなば」は今年の秋に閉店することになっている。1981年のオープンから、多くのサッカーファンやサッカー関係者が憩いの場としてきた。私の頭上には懐かしいチアホーンがぶら下がり、国内外の多種多様なサッカーグッズで埋め尽くされている。

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