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第9回 サッカーライター

わからないことをわかったふうに

私と彼は同業者である。年齢も近く、同年代といって差し支えない。きっかけは忘れてしまったが、試合の帰路になんとなく言葉を交わすようになり、かれこれ10年近くになるだろうか。スタジアムでたまに会い、どちらも連れがいなければ席を並べてサッカーを見、ぽつぽつ話をする。そういう間柄だ。

仕事関係の知り合いは何人もいるけれど、その域を超えることはまずない。サッカーという共通の話題があるため、誰とでもそれなりに会話ができ、外で食事のテーブルを囲むこともあるが、やはり仕事込みの付き合いである。実際、彼ともそれほど深い交流があったわけではなく、仕事を抜きにして外で会ったのは数えるほどしかない。それでも私にとっては気楽に馬鹿話ができる、唯一の人だった。サッカーのほかに、互いに競馬が趣味だったのも大きかったように思う。

ある日、ニッパツ三ツ沢球技場での取材を終え、ふたりで横浜駅までの坂道をぶらぶら歩いた。私は投げやりな口調で言う。

「これからのライターはツイッターとかやらないと生き残っていけません」
「でしょうね。だけど僕は、そうまでして言いたいことがない」

かくいう私もソーシャルメディアとは距離を置いている。有効性をわかっちゃいるが、気に染まないのだからしょうがない。他者から見られることを前提に上っ面なやり取りをするのは苦痛であり、かといって気の利いたシャレで返すには技量がおぼつかず、ときに発展するだろうガチンコ勝負を見知らぬ相手とする気も起きない。数は要らず、生身で付き合える人がほどほどいれば充分だ。

なおも私は大いなる自己矛盾をはらんだ話を続ける。

「やっぱね、どんどん前に出て、声を張っていかないと。なんだかんだで押しの強い人のほうが獲得できるものは大きい」
「わかりますよ。でも、僕にはないな、そんなに強く訴えたいことが。だから、降りることにしたんです」

彼がほかの仕事を探すという話は以前から聞いていた。

私は黙っている。たとえば、学生時代にあった「俺、部活やめよっかな」とはワケが違う。生き方の問題であり、人生の問題だ。彼は良い書き手であり、惜しいとは思うが、軽々しく口にすることはできない。ライターの世界はそれぞれ得意分野や持ち味が異なり、白黒つけるのがむつかしいと思われがちだが、当事者の間では評価がはっきりしているものである。もちろん、決断の主因には経済的な事情がある。カネがない合戦なら私も負ける気がしないけれども、だからあんたも付き合えというのは、まったく筋が通らない。

また、サッカーを書くことについて、彼はこのように語ることもあった。

「本当はわからないくせに、わかったふうに書くのはいやだ。いつからか、自分の意見が根拠のない感想に思えてきた」

仕事に対する態度は私と違うものを持っていた。原稿の発注があった際、そのテーマにおいて見識を持たず、明解な答えを出せないとなれば、彼は仕事を断る。つまり、生真面目である。かたや私は、着地点が編集者からの要望と多少ズレることが予想されても、出来上がったものがおもしろければ文句あるまいと見切り発車で引き受ける。結果、思った通りに仕上がらないケースもあるが、その代償は自分が支払うのだから構わないと考える。

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