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第6回 3年後に思いを馳せて

あの日の自分にビンタ

自分の来し方を振り返り、あまりの違いに愕然とする。なんてダメな奴だったんだと、ひたすら恥じ入る。取材でさまざまな方に会い、話を聞いていると、昔の自分に強烈なビンタを食らわせたいと思うときがある。

あれは3年前の夏だった。現在、イタリア・セリエAのインテルで活躍する長友佑都にインタビューした時だ。サッカーや身体作りのことはひと通り聞き終え、話は学業面のことに移っていた。
「高校、大学と授業で居眠りしたことは一度もないですよ。母が働いて送ってくれた大事なお金を、無駄に使うことはできなかった」
長友の眼は真実を語っていた。学生時代、特に理由もなくしょっちゅう居眠りをしていた私は、身が縮む思いである。大学ではろくすっぽ授業に出ず、二度の留年。どうにか卒業はしたものの、就職活動を早々に投げ出し、いまの稼業へ。親には不必要なお金をかなり使わせてしまった。改めて文字にすると、本当にどうしようもない人間である。その日、家に帰った私は実家に電話し、何をいまさら「悪いことをした」と親に詫びを入れている。

昨年末から年明けにかけて、数人の大学生とアポイントを取り、話を聞くことになった。
今季の東京ヴェルディで10番を背負い、キャプテンも務める小林祐希。小林やオランダに渡った高木善朗に代表される東京ヴェルディユースの92年組(92年生まれと93年早生まれ)は群を抜く粒ぞろいの世代で、トップ昇格が見送られた選手の中にも将来の有望株がいる。大学に進学した彼らが1年間どのような生活を送り、サッカーと向き合っているのか知りたかった。

すると、これが予想以上に興味深く、同時に私のダメさ加減をくっきり浮き立たせることしきり。すっかり平身低頭のあり様となった。

それぞれの決意

「大学で力をつけ、ヴェルディでサッカーをする。それしか考えていません」と言い切ったのは、小林とダブルボランチを組んでいた渋谷亮(中央大)。彼のヴェルディ好きは同期の中でも特別らしい。1年次はBチームで雌伏の時を過ごし、今年こそはと決意を語った。こんなに揺るぎない目標があるとは、私が19歳のときより軽く100倍はしっかりしている。そもそも大学に入った当時、4年後のイメージなんてあったかどうか。

「サッカーのために生活がある。飲み会、合コンは誘われても行かない」と南部健造(中京大)。せっかくの大学生活だからエンジョイしようなんて発想はどこにもなし。変なことを言ったら怒られそうな雰囲気だった。プロに向けての身体作り、選手としての成長をひたすら追い求める。ザ・ストイックマン。

山浦新(慶応大)には大学生のお財布事情を訊き、感心させられた。単位取得と部活動に忙しい彼らはアルバイトの余裕はほぼ無いといっていい。ご両親が将来のために貯めてくれた口座があり、毎月必要な分をそこから下ろすのだという。つまり、完全な自己管理。「月平均、3万円から4万円くらいでしょうか。たまに使いすぎて反省しています」。私だったら競馬やパチンコにつぎ込み、ものの数ヵ月で消え失せている。間違いない。

ほかにも何人か話を聞かせてもらい、それぞれ真っ直ぐな思いと、冷静に自分を見つめる眼を持っていた。いずれ、きちんとお伝えする機会があるだろう。明確にプロを志す彼らと、自主映画制作にかまけモラトリアムに浸っていた私なんかを比べるのがおこがましいのだが、こうも違うものかと我が身の愚かさを感じずにはいられなかった。前に進もうとする姿が、直視できないほど眩しい。

それまでと環境が一変し、さまざまな世界にアクセスできる大学生活で、4年後のプロを目指すというのは口で言うほどたやすくない。努力が必ずしも報われるとは限らない世界だ。だが、目の前のことに力を尽くせない者に道は開かれない。Jクラブのユースや高校から大学を経てのJリーグ入りが主流となっている昨今、一見すると遠回りが幸いに転じる可能性はある。はたして彼らの未来はどうか。

(了)

(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカーマガジン』『スポーツナビ』など。著書に東京ヴェルディの育成組織を題材にしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。