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第10回 二十歳の原点

独りであること、未熟であること

『二十歳の原点』という一冊がある。1960年代、学生運動が盛んだった時代を代表する作品で、著者の高野悦子は成人の日に「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」と記した。理想の自己像にほど遠い現実の自分。その年代特有の不安定さ。失恋。葛藤。1969年6月24日、著者は自ら命を断った。20歳の若さだった。

細部まで紹介すると、やや気鬱になる本である。私はのんべんだらりと生きていた大学時代、人から勧められて『二十歳の原点』と出合った。思い詰めた日記や詩に圧倒されつつ、そこまで深刻にならんでもと距離を感じたのを憶えている。

ヘルメットを被った学生たちがゲバ棒を持ち、火炎瓶を投じていた当時の時代風潮を想像した。しかし、切迫した空気感のようなものを取り込めず、著者の苦悩に接することができなかった。つまり、どうも身体や頭にしっくりこなかった。

小林を見ていて感じるのは、その種の違和感である。

生きる世界が違うのは当然として、内実まで想像が及ぶ気がしない。彼にとって、サッカーが単なる生活の手段ではないということ。遥かな高みに手を伸ばそうとしていること。それらを遠くに思うだけである。

一介のライターは立ち尽くすしかない。できる仕事は限られている。コメントをつなぎ合わせて心情を表したり、ましてアドバイスらしきことなどもってのほか。ただ、ずっと見ているぞ、応援しているぞと胸を張って表明する。

小林祐希を見ている人はひとりやふたりではない。びっくりするほど大勢いる。今シーズンの開幕前、サポーターの間では10番のレプリカユニフォームが1番人気だった。その人たちは10番のシャツを着て、週末のスタジアムに足を運ぶ。

これはもう『二十歳の原点』とは絶対的な違いだ。みんながついている。ピッチに出てきたら、ありったけの大声でチャントを響かせる準備はできている。

(了)

(著者プロフィール)
海江田哲朗(かいえだ・てつろう)
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディに軸足を置き、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカー批評』『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカーマガジン』『スポーツナビ』など。著書に東京ヴェルディの育成組織を題材にしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。

海江田哲朗 東京サッカーほっつき歩記は<毎月第1水曜日>に更新します

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